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松井秀喜の野球人生

直言・小川勝のタックル

「責任果たす」ことの連続

松井秀喜という人物を理解するうえで、欠かせない逸話の一つは、彼が星稜高校三年の時、主将を務めたことだ。
高校野球において、プロ注目の大物選手が主将になることはほとんどない。
桑田真澄も清原和博も、松坂大輔も中田翔も主将ではなかった。
そのような選手が主将になると、ただでさえプレーで目立つところに、主将としてメディア取材の矢面に立つ必要も加わって、チーム内であまりにも突出してしまうからだ。
いや応なく、浮いた存在になりやすいのである。

しかし、松井はそうではなかった。星稜高校では例年、主将は選手間の投票で決めていたが、山下智茂監督(当時)は、松井の時だけ指名して主将にしたという。
「責任を負わせ、大きな人間に育てたかった」と山下監督は語っている。
一人だけ注目されることになっても、チーム内で浮いてしまうことはない、と考えていたのだろう。

松井の野球人生は一貫して、このような「責任を果たす」ことの連続だったように見える。
巨人では二十六歳の若さで選手会長に指名され、二年間務めた。
入団時からいずれは四番に育つことを期待され、二十八歳までに通算470試合、四番を打って、四番としての打率は「.322」。
見事に、課された責任を果たしてきた。

その上で、彼の野球人生においてただ一度、自分の意志を貫いたのが、米大リーグへの移籍だった。
フリーエージェント(FA)権を取得しての移籍だから、どこへ行こうと自由であったにもかかわらず、決断に際しては長嶋監督と話し合っている。
決断を伝える記者会見の中で、彼は次のように語っている。

「長嶋監督からはファン、巨人のこと、思いのすべてをぶつけられた。
そうしなくてはいけないという思いで頑張ったが最後はわがままを聞いてもらいました。
今は何を言っても裏切り者と言われるかもしれませんが、いつか松井は行ってよかったと思われるように頑張るしかありません」

米大リーグでは、ワールドシリーズ優勝だけが本当の勝利と見なされる球団ヤンキースで、ワールドシリーズ通算十二試合、打率.389、12打点。
今では誰もが、松井は行ってよかったと思ってるはずだ。

日本で十年、米国で十年。
どちらにも偏ることなく引退したことは、結果を日米両野球界に敬意を表す彼の意思表示にも見える。
彼が果たした責任をファンが語り継ぐこと。
それこそが、彼の業績をたたえる最もふさわしい方法ではないだろうか。
(スポーツライター)

中日新聞0506
北陸中日新聞:平成25年5月6日朝刊


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